私のストーリー⑤

第11章 コーチングビジネスの世界

私が山から降りて最初に出会った起業家さんは

最初はビジネス商材のみをしていたのですが、
そのうちにセミナーを開催したり、
SNSをたちあげたり、本の出版をされたり。

そうかとお思えば占い師になって
占い講座やレイキの講座をはじめたりと、

飛ぶ鳥落とすような勢いで
活躍をしはじめました。

私は近くで見ているうちに、
セミナーのお手伝いをするようになり、
SNSの管理の仕事をするなど
その方のもとで働くことになりました。

成功していく人は、とにかく実行力があって、失敗を恐れない。

自分の世界観を堂々と主張して周りの人を巻き込む。

沢山の成功もするけど、失敗もするし、
賛同者や仲間はいっぱいいるけども、
アンチも結構いる。

近くで見ていてそう感じました。

その方の事業が拡大していくとともに
スタッフや協力者が増えていきました。

バリバリのベンチャー企業で
とてもノリが良い若い人たちが中心で集まっています。

みんなで研修として、沖縄に行ったり
ハワイのホノルルマラソンに出場したりしました。

ホノルルマラソンでは、
私はマラソンの走り方の本を買って、
出来るだけ無理のないように体を
鍛えてから望んだので、

なんと、10人ほどのスタッフの中で
1番早くゴールが出来ました。

子供の頃から運動が大嫌いで、
マラソン大会は仮病を使って休んでいたのに、
人って変わるものです。

やらされてたら、嫌なことも、
自分でやろうと思ったら、
楽しんで出来るものなんですね。

ハワイにはこの後、特別なご縁ができますが、
この頃は、ただ楽しかっです。

 

その後も起業家さんのもとで働きつつ、
その方が企画した大物セミナー講師
さんの高額セミナーに参加しました。

 

そちらがとても勉強になったので、
大物セミナー講師さんの
連続セミナーを受けてみることにしました。

 

そうしているうちに、そちらのセミナーのボランティアスタッフになり、
ボランティアスタッフリーダーになり、
セミナーの前説などをするようになりました。

 

ボランティアスタッフリーダーをしているうちに、
別のコーチング会社を経営している人に声をかけていただき、
その方の会社で働くことになりました。

そちらの会社では教材のイラストを製作
などもさせていただき、良い経験になりました。

 

 

起業家やコーチングなどの会社経営をされているかたの
近くで働く体験は、本当に刺激的で、わたしの世界観を変えるような体験でした。

 

色々な人と一緒にお仕事をして、新たな絵の仕事に繋がったことももありました。

 

起業家達の周りにいる人たちは
その人自身も独立して、起業を考えている人が大勢います。

その人達が、独自のビジネスを立ち上げたときに、
私にイラストや絵を、直接オーダーしてくれるようになったのです。

 

 

第12章 絵で食べていきたい

そんな、ありがたいご依頼も増えつつあった日々でしたが、
ある時、思いました。

「絵だけで食べていきたい。」

 

もう山小屋から降りてきて、5年ほどたっていました。

 

その間、年に一度の個展を開催し、
その場で絵は売っていたので、画家と名乗ってはいたのですが、

ビジネスセミナーの手伝いやコーチング会社の
仕事などが忙しく、絵の世界から遠くに引き離された
日々を送っていたのです。

 

とても楽しく刺激的な毎日ではありましたが、

人生の方向を変えなければならい時が来た。

 

そうハッキリと自覚した後、出来るだけ速やかに
今までお世話になったコーチングの会社や
セミナーボランティアも一切やめてしまいました。

なにかツテがあったわけでもなく
仕事のあても特にありませんでした。

辞めた後は、もとの仲間から絵の仕事をもらったり、
風景画教室を開催したり
持ち込みをして、数件イラストの仕事もしてみましたが
食べていけるほどではありません。

 

とにかく何か、絵を描く仕事をなんでも良いから
したい。

そう思っていた時

似顔絵師募集

の広告が目にとまり、
早速応募し合格し、働きはじめました。

以前、一緒に仕事をしていた仲間が、
「そんなに絵がうまいなら似顔絵をして見たら?」

と、言われたことが会ったのですが、
当日の私は、似顔絵について良いイメージを持っていませんでした。

風景画と全然違うし、なんだか食い詰めた画家がしょうがなく妥協してやる仕事
のようなイメージがありました。

その人には笑いながら、似顔絵は私に合わないと言ったのですが、
本当に背に腹は変えられない状態で、仕方なく始めたのです。

ですが、

やって見た結果、すごく楽しく良い仕事だと思えました。

まず、目の前でお客様が、めちゃくちゃ喜んでくれます。

こんなこと、風景画にはありませんでした。
(当たり前ですね)

また、イラストの仕事も何度かやっていたのですが、
イラストの仕事でも、ここまで喜んでくれることは
まずなかったのです。

似顔絵の場合、喜んでいるのは、自分の顔を良く描いてくれてから
喜んでいるというのが1番の理由なので、
自分の絵の実力で100%喜ばせているって訳ではないのは
重々承知なのですが、

それでも、人が、目の前で、私の絵でとても幸せそうにしている
というのが、とても嬉しくやりがいを感じました。

あと、似顔絵に来てくれるお客様も
まずほとんどが、「幸せな人」
というところが、この仕事の好きなところでした。

風景画もそうだったのですが、
最初、あまり好ましくないと思っているところにこそ、
本当に楽しいことが隠れている。

似顔絵の仕事も、私にとって、まさにそうでした。

似顔絵の仕事が週に1、2日入ってくるようになった頃、
以前の起業家さんたちと過ごしていた時に知り合った方から
久しぶりにお電話をいただきました。

その時に受けた内容がまた、
新たなステージへの幕開けとなりました。

続く

私のストーリー④

第9章 新しい世界

3ヶ月の山小屋生活から戻ってきました。

山小屋にいる間は、下界との生活を一切断ち切り、ネットもメールも、電話も無い。
買い物にもいけない生活でした。
衣食住の費用も住み込みのため、かかりませんでした。

そんな生活でお金を使う機会もなかったので、
私の人生の中ではわりと大きな金額の3ヶ月分のお給金をいただき
帰ってきました。

しばらくは、胸に穴の空いたような感じで
ボーッとしつつ風景画に色をつけていました。

お休みをいただいていたバイトも再開して、
日常が動き出してきた頃、
個展の準備をはじめました。

セツモードセミナーの時は友達が立ち上げた企画に乗っかり
お金を払って絵を2枚ほど展示したグループ展しかやったことがなく
個展なんて夢のまた夢でしたが、

風景画家になると決めたので、
とりあえず、個展をすればいいかとインターネットで
無料で貸してくれるギャラリーなどを調べました。

無料で貸し出しとなると、レストランの壁に2週間〜1ヶ月ほど
貸してくれるところがあったので、

新宿のカフェで一番早く展示できる2月に予約をとりました。

インターネットでギャラリーを探し回っている時に
どんなきっかけかは不明なのですが、
とある起業家の方のホームページにたどり着きました。

何やら
インターネットの副業で何もしないで収入を得て、自由を手に入れよう!

というような内容で、
なんとなく面白そうだったのでメルマガに登録してみました。

メルマガの内容はとても面白くて、
幸い山小屋生活のおかげで、手持ちのお金は沢山あったので、
その方の販売しているビジネス商材を購入してみました。

そこから、その起業家さんの仲間たちの集まるパーティーに
なんとなく参加しましたら、主催者の起業家の方と仲良くなれました。

色々とやりたいことを書き出し、その起業家の方に相談をしたり
そのかたが進める、心理学のセミナーに通ったり、今までと全く違った世界に足を踏み入れました。

すごく今更だったのですが、

今まで、フリーランスで働くイラストレーターになりたいと漠然と思っていたのですが、
それがビジネスを立ち上げることと同意語だったことに、
ここでようやく気がつくことが出来ました。

今まで、なんとなく働かなくてはならないと思っていて、
企業の営業職についたり、アルバイトをしたりして、
その間にイラストをする。

そんな考えで働いていたので、言われたことを不備なくこなせば良いという
思考回路が染み付いていて、
自分で考えて、目標を達成するという考えが弱かったところがあります。

当時、驚いたことのは
ビジネスって、以前に好きで学んだ
スピリチュアルとか精神世界のことが
繋がっているということでした。

その起業家の方は、

ビジネスというのは
目に見えないことこそ大事だと、

心理学や
そこから発展した精神世界のこと
勉強されていて、
そんなところが私の心に響きました。

この頃はベンチャー企業などが多く立ち上がり、
インターネットビジネスが流行っていた時期。

コーチングや自己啓発本も大量に増え出した時期でもありました。

子供の頃はおまじないやら占いやら不思議なことで
自分の願い事が叶ったらな〜と思っていたのですが、

ここにきて、目的に向かって行動を促し、
目標を達成しよう!という教えを
学ぶことになりました。

その起業家さんのコニュニティーに
仲間ができて、
心理学のスクールに通い、
楽しみながら色々なことを学びました。

ここで出来たご縁が
今後の私の人生を大き行く
変えていくことになりました。

第10章 風景画家 藍みつる

生まれて初めての個展は
どうやったら良いのか、
検討もつきませんでした。

ですが、
ビジネスセミナーなどで学んだ、
目標を達成する方法を実行して、
どうにか一人で個展を開催できました。

個展の初日には、
ビジネスのコニュニティーで出会った仲間たち。
心理学の教室で出会った同期の人たちが沢山の来てくださいました。

実はこの新宿のカフェ、
無料で1ヶ月、絵を壁に展示できるかわりに、
オープニングパーティーを
20人以上で開催すること。

という条件がありまして、

当初、なんのツテも無い私は、
どのようにすれば
そんな人数集められるのか、皆目見当がつきませんでした。

人を集められるあてが無いまま予約をしたのですが、
蓋を開けてみると、思いもかけない方法で
山を降りた時には全くの知らない人たちが大勢来てくれるようになったのです。

オープニングパーティー代は支払いしましたので、
よく考えたら無料ではありませんでしたが、
実際のギャラリーを借りるよりはお得に出来ました。

カフェギャラリーの個展は大盛況で、終わりました。
なんと風景画も初めての個展で2枚ほど売れてしまいました。

風景画で収入を得てしまった。
これはもう、
風景画家と名乗って良いだろう。

そう思い、
本名から字をとり

藍みつる

と画家としての名前をつけ、

屋号登録もして本格的に活動を始めたのです。

ちゃんと活動していこうと決心しましたら、
今度はちゃんとしたギャラリーで個展をやりたいと思いました。

カフェでの個展が終えた直後から会場を探して、
半年後、青山のスベースギャラリーで個展をすることになりました。

1度やったら勢いがついて、それから毎年10年間。
年に1度の個展をすることが恒例となりました。

風景画は個展を開催するたびに売れました。

アルバイトをしてビジネスのセミナーや
様々な勉強会に参加。

そして、年に1回の個展。
個展の作品つくりのための旅。

しばらくこのような日々がつづきました。

私のストーリー③

7章 山小屋の集大成の絵を描きたい!

生まれて初めての登山で山の素晴らしさを満喫し

大きな絵もかけて、

また少し自信がつきました。

登山の筋肉痛から回復してきた頃、

今度は大きな画用紙で、最初に滝を描いた時のように

紙をつなげて大きな作品を描こうと思いつきました。

なんだか私は自信がつくたびに、大きな絵を描きたくなってきます。

家族が持ってきてくれた大きな画用紙が後3枚

残っていたので、それを横につなげたら

160㎝以上になります。

「これに、山の雄大な自然をパノラマで描けたらすごいのでは!?

山小屋の集大成としてそんな絵が描きたい。」

どこを描こうかと考えた時、前から山小屋にある地図に

載っていたある場所が気になっていました。

山小屋から徒歩1時間30分ほどの場所にある

「カモシカ展望台」

山小屋の人達は、みんな

綺麗な見応えがあるところだよと言っています。

しかし、問題がいくつかあります。

私は今までの2時間休憩時間中、カモシカ展望台にたどり着けたことはありません。

実は最初の休憩時間に山小屋の近隣を、

アルバイトの男子が案内をしてくれたことがありました。

カモシカ展望台に行くまでの間。中間地点ほどに兵馬ノ平という湿原があります。

そこまでなら行って帰ってこられるだろうと

案内してくれたのですが、

私の脚が遅く、慣れない山道に息切れをして

休憩時間内に山小屋に戻れず、山小屋のご主人にご迷惑おかけしてしまったことがありました。

兵馬ノ平までの片道コースタイムの目安は50分。

休憩中にギリギリ往復できる時間なのですが私には無理でした。

ちなみに地図に載っているカモシカ展望台までのコースタイムは1時間25分です。

だったら2時間の休憩時間にカモシカ展望台まで往復なんて不可能なのでは?

と思ったのですが、

山道に慣れている山小屋の男子達は

全然余裕で行って帰ってこられるというのです。

コースタイムはあくまで、初めて行く人がゆっくり迷わないように歩いた時の

目安時間で、慣れた道を走れば余裕で往復可能とのこと。

本当かなぁ?

と思いましたが、とりあえずチャレンジしてみることにしました。

まずは前回ダメだった兵馬ノ平まで、急いで往復してみました。

流石にあれから2ヶ月程の山小屋生活と登山経験のためか

ゼーゼー言いながらも休憩時間内で往復出来ました。

それから、晴れた日の休憩時間に何度も兵馬ノ平アタックを繰り返し

時間を縮めることに成功ししました。

このペースなら行けるのでは!

そして、満を持してカモシカ展望台アタック。

結果

3回玉砕しました。

2時間の休憩中に絶対に帰って来なければならないので、

少し迷ったと不安になっただけで、道を探索する時間もなく

途中で断念して引き返すことが続きました。

そして滑りやすい木道を走ってくので、片道平均2、3回ころびます。

ぬかるみに突っ込み泥だらけになることも。

やはり私には無理なのか?

と思いましたが、それでも3度目の正直で

ついに、カモシカ展望台まで行くことが出来ました。

高台からの大パノラマ。

遠くの山々が連なって、滝が何本も流れているのが見えます。

「ここだ!ここを描くしかない。」

そう決めました。

しかし、この時から1ヶ月待つこともなく、

10月の中頃に、私はバイトを終え、山を降りなくてはならなくなります。

「それまでに、何としてでも描きあげよう!」

ダッシュで山小屋に帰りながら、私は心に誓いました。

8章 カモシカ展望台を描く!

そうと決まれば

どうやったら出来るのかを考えます。

今のままでは往復するだけで精一杯。

とても絵を描くどころではありません。

休憩のタイミングは一日ごとに変わって、

午前休憩の時は朝の掃除の後のコーヒータイムの後。

午後休憩の時はランチと夕食の仕込み後の我々の昼ごはんの後。

コーヒータイムと昼ごはんは大体30分くらいで、

後の30分はお菓子やデザートなどをつまみながらの近状報告をかねた雑談タイム。

この休憩時間前、約30分の雑談している時間を

どうしてもカモシカ展望台を描きたいので!

と主張し、特別に早く抜けられるようにしてもらいました。

持って行く紙と画板などの画材や飲み水は、ザックに詰めて、

従業員の出入り口の邪魔にならないところに、朝起きたら置いておきます。

そして、帰って来たとき。

絵を描いてダッシュで帰ってくると汗だくで泥だらけ。

そのまま食事を作る業務に戻るのも気が引けますので、

ザッと温泉で体を清めてから仕事に戻ります。

(山小屋は水が貴重なためお風呂が無いところも多いのですが、

私が働いていた山小屋は温泉が豊富に湧き出るので、いつでも入ることが出来ました。

それを幸いに私は朝昼夜と13回も温泉に入ってました。)

そのための着替えとタオルも温泉の近くの従業員の物置に準備しました。

そうして、雨の降っていない日は

コーヒータイムや昼食を早々に切り上げ、

従業員出入り口まで早足で駆け抜け、ザックを背負い、

走り出します。

絵を描く時間は最初は5分くらいしか取れませんでしたが、

山道を覚えて慣れて、走るのも早くなり、

荷物を準備していたりと無駄をなくす工夫も出来るようになり最終的には

20分くらい絵を描く時間を作ることが出来るようになりました。

カモシカ展望台まで40分で走り、

20分で絵を描き

40分で走って帰り、

残り20分ほどで温泉に入り着替え

仕事へ戻る。

トイレや何かのトラブルや絵を描く準備、

片付けの時間のため少し余裕を持たせて大体こんな感でした。

そんな日々が続きました。

休憩時間ってなんだっけ?

と、後から冷静に考えれば思うのですが、

不思議とその生活をやっている時は、

疲れを感じませんでした。

私が山小屋で働いていた年は、例年に比べて雨が多い年で、

登山客も少なめだったそうです。

なので、2日か3日に一度は雨でカモシカ展望台に行けなかったので、

なんとかやっていたのかもしれません。

雨の日は皆としっかりお茶をして沢山お話をして、

女子部屋で白馬岳登山の時に描いた絵に色をつけていました。

色をつけながら寝落ちしていることも良くありました。

雨の日以外は行ってきましたが、

必ずしも描けるとは限りません。

せっかく走って来たのに

ガスでほとんど覆われて描けない。

途中から雨が降ってきて描けないなんてことも良くありました。

それでも出来る時にコツコツと描き進めて

1枚描き終わると紙を横に継ぎ足し2枚目

そして3枚目と描いている間に時はあっという間に過ぎ去って行きました。

カモシカ展望台に通い始めた頃は、まだ青々としていた山々が

みるみる上の方から黄色に赤にと染まっていきます。

気温もドンドン下がって行き、10月に入る頃にはダウンジャケットが無いと

きつく感じられるようになりました。

走っている時は汗ダクダクでも

絵を描いている時には体が冷えてすごく寒いので、防寒具も荷物に入れて

飲み物は温かいコーヒーやお茶を魔法瓶に入れて山小屋の人が持たせてくれました。

そうこうしているうちに、あっという間に

3ヶ月のバイトが終わり山を降りる日が近くなりました。

山を降りる3日前。

あと少し!完成まであと少し。

絵が描ききれないところでタイムアップ。

もう少しだけど、休憩時間中にどうしても帰らなくてはら無いので限界です。

仕方なく、その日は諦めて帰りました。

次の日。

大雨

とても山小屋から出られる状態ではありません。

下界の天気予報は山の上ではそんなに当てにならないのですが、

大きな低気圧が新潟付近に停滞しているとのこと。

「こりゃ明日も雨だな〜」

と山小屋のご主人も言っています。

今年は雨の多い年。

まさかもうカモシカ展望台の絵を完成させられないまま

山を降りることになるのかな。

不安になりながらも。

明日の最終日は雨が降ってもカモシカ展望台に走って行くことを決めました。

山小屋生活最終日。

朝から雨でした。

雨だけでなくガスも濃くて、窓の外は真っ白です。

朝の掃除が終わり、私は早番の休憩時間でした。

コーヒータイムの時に

「本当に行くの?何も見えないでしょ」

と皆なに言われましたが、

誰が何と言っても行くと決めていたので、

コーヒータイムをさっさと切り上げ、

いつものザックに雨よけのカバーとレインスーツを着て

山小屋を飛び出しました。

雨は昨日ほど強く無いですが普通に降っているし、とにかくガスが濃い。

自分の手を前に伸ばすと手のが見えなくなるくらい

まわりは真っ白です。

視界はほぼゼロですが、走り慣れた山道は分かります。

滑りやすくなっていたけど、何とか走り抜けました。

40分。走って走って、

カモシカ展望台の脇道を抜け、いつも酷いぬかるみのある場所は

今までで一番酷い状態でドロドロになりながら展望台への道をよじ登り

森を切り抜け周りの景色が開ける展望台にたどりついた。その途端

真っ白なガスが

サーーーーーーーーーーーーーーーーーー

とひいて、雨が止んで空が明るくなり、カモシカ展望台から見える山々の紅葉に染まった大パノラマが目の前に開けたのです。

まるで、分厚いカーテンを開いたかのようでした。

よっしゃ〜〜〜〜〜!!!」

と、急いで画材を取り出し、バババーーっと絵を完成させました。

完成したのです。

この時、私は

「なんて奇跡だ!」「わー!こんなことが起こるなんて信じられない!!」

とかは思いませんでした。

あくまで

「よっしゃ〜〜〜〜〜!」でした。

昨日の夜から、なぜか周りに何と言われとうとも、どんな状況だとしても

「絶対に景色は見えるし描ける」

と確信していて、想像通りのことが起こったので

冷静に作品を完成させることが出来ました。

描き終わった途端にポツポツとまた雨が降ってきました。

空が暗くなりガスがモクモクと山々の下から登ってきています。

よし!帰ろうと素早く荷造りをして

走り出しました。

森に入る時に、なぜかハッとして、

最後にカモシカ展望台を振り返りました。

その時、白く煙って行く山々に

「お前は風景画を描け」

と言われたような気がしました。

急に、を感じました。

大いなる山の神様達が最後に描かせてくれたんだと分かりました。

今まで感じていなかった大きな力と約束をしたような

しっかりとメッセージを受けとったような、通じ合った感じ。

自分の力で生きているのではなくて、

生かされていると肌で感じました。

色々な思いが込み上げてきて

大きな声で

「ありがとう〜〜〜!!!」とお世話になった山々に叫び

泣きながら山小屋へ走って帰りました。

そして、奇跡のような山小屋生活が終わりました。

最後の朝。

昨日に引き続き雨でした。

いつものように宿舎の掃除をして、

自分が3ヶ月間寝泊まりした女子部屋を掃除をして、

コーヒータイムを終えて、

皆んなにお礼を言って、山小屋の若旦那に車で駅に送ってもらう時間になりました。

駐車場に向かおうと外に出ると、

雨が止み、紅葉の広がる景色の上に、

きれいな大きな虹がかかっていました。

その時にまた

「約束だよ」

と山の神様達の声が聴こえたような気がしました。

約束。

私はこれから風景画を描いていく。

風景画家になろうと決めました。

山に来る前は、自分が何を描きたいのかがよくわからなかった悶々とした日々を

送っていました。

山に来たばかりの時は、風景画なんて嫌いだけど、

やることないんで仕方なく暇つぶしで描いていました。

それがまさか、こんなことになろうとは。

本当に奇跡に満ちた信じられない3ヶ月間でした。

「山から降りたら、とりあえず、山で描いた作品で個展をすることにしよう。」

そんな考えに思いをはせ、ぼーっとしている私を乗せた車は

虹の橋をくぐり、街へと降りて行きました。

カモシカ展望台

続く

私のストーリー②

第4章 迷走期

高校を卒業した私は

絵を描く仕事がしたい。例えばイラストレーターのような……。

という漠然とした夢を持っていました。

そこで、本屋で「イラストレーター年鑑」を購入し
第一線で働いているイラストレーターの経歴を調べるて見ました。

すると、セツモードセミナーという学校の出身者が多い事に気がつきました。

さらに調べると、
セツモードセミナーはファッションイラストレーションの第一人者、
長沢 節さんが弟子になりたいという人が大勢来たため
立ち上げた私塾ようです。

私は、とりあえずセツモードセミナーに入ることに決めました。

当時、セツモードセミナーはとても人気があり
何年も浪人している人もいたほどです。

長沢節先生は、
「試験でその人の将来的な絵のセンスなんて測れない」
という考え方でしたので、入学試験はなく、抽選。

私は幸運なことに、1回で、希望していた夜間部に
キャンセル待ちの補欠から滑り込むことができました。

昼には営業の仕事をして、夜に学校に行き絵を学ぶ生活に突入です。

 【私がセツモードセミナー入った時にはご存命だった、長沢節先生。

90才こえていても背筋もシャンとして、
とてもスタイル抜群でかっこよくお茶目な人。

生徒と一緒にクロッキーして、絵の講評をして、とても身近な存在でした。

最初は「下手くそ」「足首がダメ、セクシーじゃない」「クビ!」など言われましたが、2年目くらいに「いい絵描くじゃないの!」と言ってくださったのがよい思い出。

私の在学中に大原での風景画合宿中の事故がもとで亡くなりました。】

セツモードセミナーでは主な授業は、モデルのクロッキーが中心で、
イラストレーターになる授業というものはありませんでした。

たまにセツモードセミナー出身のイラストレーターさんが特別授業として体験をお話ししてくれたり、絵を見てくれる機会などがあったものの

ただ通っていただけの、受け身な生徒ではどうにもなりせんでした。

3年間通って研究科までいきましたが、友達とグループ展をしただけで卒業。

当初のイラストレーターになりたいという夢も、どんなイラストを描きたいのかもハッキリせず、

営業の仕事も辞め、適当なバイトで食いつなぎ
悶々としていたそんなある日、

ふと、昔のことを思い出しました。

「そういえば、私は自然の中を歩くことが大好きだったな。
修学旅行より林間学校に箱根に行った時の方が楽しかった。
あぁ、また、森に行きたい。いっそのこと、登山とかしてみたい。」

そんな気持ちが強くなってきました。

しかし、登山の仕方などは分かりません。

周りにアドバイスを聴けるような人もいませんでした。

いつか、行けたら良いな……。

くらいに思っていました。

そんなある日、手に取ったアルバイト募集雑誌に、

《リゾートバイト特集》

という記事ありました。
なんとなく眺めてみると。
そこに《山小屋特集》とありました。

私の脳内で声が聴こえました

「山に登る方法がわからなければ、

山小屋で働けばいいじゃない!」

そう思ったら行動は早く、
掲載ていた山小屋のいくつかに履歴書を送りました。

そしたらなんと、

一番最初に履歴書を送った山小屋に採用していただき、
6月から10月の3ヶ月間、住み込みで働けることになったのです。

ほどなくして
お世話になる山小屋から、山小屋生活に必要な道具などが書いてある丁寧なお手紙をいただきました。

登山靴にザックにアウトドア用の雨具。ヘッドライトなどなどを
私には馴染みのないものばかり。

素人の私は、どう選んで良いのか
わからなかったので、

5万円を握りしめ、横浜で一番大きな登山グッツ売り場のあるショップに行き、
店員さんに山小屋から手紙を見せ

「この5万円で全てみつくろってください!」

と、まるなげで道具を揃えてもらいました。

【のちに、山小屋のおかみさんに

「すごく良い靴とザックだったから、凄い登山慣れしているのかとおもったわ」

と言われる。

ありがとう、店員さん!

ことの経緯を話すと、

「良いお客さんね」と言われる。】

第5章山小屋生活

6月後半。

いよいよ、真新しい登山靴を履き、ザック背負い、いざ山小屋へ。

新潟駅から山行きバスへ乗り、
標高1457m。
北アルプスの山小屋へ到着しました。

6月下旬ですが雪すこし残っていて下の街より10度ほど気温も低く、
ヒンヤリした空気。

今までいた世界とはまるで違う
異世界に来た気分でした。

山小屋は、家族経営で

アルバイトは一番多い時期で8人ほどでした。

最初はとても緊張しましたが、
家族ぐるみのアットホームな雰囲気に
すぐに慣れることが出来ました。

携帯電話は通じないし、インターネットももちろん通じません。

山小屋の仕事内容は旅館と似たような感じです。

ただし、時間がめちゃくちゃ早い。

朝は3時半から起き出して
朝食の支度

山小屋なので朝ごはんが4時半や5時からです。

6時頃、お客様を送り出した後、私たちの朝ご飯。

部屋や施設の掃除をして
9時のコーヒータイムの後、
順番で2時間ほどの休み時間があります。

実質1日のうちで自由なのがこの休憩時間くらい。

(朝の業務前と夜の業務後は自由ですが、自家発電のため
電気が夜9時には完全に消えるので、ヘッドライトの明かりで行動することになります。)

私は、女性2人と休憩する班が別れてしまったので、期間中ずっと
一人で休憩時間を過ごすことになりました。

仕方がないので、
家から適当に持ってきた
小さなスケッチブックとペンと
固形絵具で風景画を描き始めました。

私はそもそも風景画は好きではありませんでした。

しかし、風景しか描くものがなかったので、仕方なく描き始めたのです。
休憩時間のたびに一人で外に出てスケッチブックを広げて描き始めたものの、

最初は花の1本も満足いく様に描けず落ち込みました。

それでも、他にやることがないので描き続けます。

(絵をハガキ大の紙に描いて、裏面に文を書き絵葉書として家族に送ったもの。)

少しだけ描けるようになったので、

次は近くの滝を描くことにしました。

両手大ほどの小さなスケッチブックしか手元になかったので
それを横にかまえ。

滝の上から描いて、紙のハシまできたら切り取り
下に新しい紙を継ぎ足して、

6枚ほど紙をつなげたスポーツタオルくらいの長細い滝の絵が完成しました。

固形絵の具で色をつけたのですが、
生まれて初めて自分で納得できる、良さげな絵に仕上がりました。

5日間かかった大作です。

(この絵はこの後、買い手がつきまして、今は手元にありません)

少し風景画が好きになり、

気を良くした私はもっと大きな絵を描きたくなりました。

夏休みになると、
私の家族が山小屋に遊びに来ることになったので、
その時に大きな紙を何枚か持ってきてもらいました。

そして、
3ヶ月の山小屋生活の唯一の休日。

お盆明けの3日間。

白馬岳に登山をして、そこで大きな絵を描くことにしたのです。

第6章 初めての登山

登山の仕方を知らないので、山小屋に行けばわかるはずと思っていた
登山ど素人の私ですが、

山小屋の御主人曰く
「お前なら大丈夫」との声のもと、

最初から1人で白馬岳(2,932m)へ登ることになりました。

(とはいえ、初心者の単独登山はとても危険なのでやめましょう。
私の場合は2時間後から後発の3人組みが同じコースで来ることになっていました。)

絵を描こうと思っていたので休憩を通常のプランより多く取るため
後発隊より2時間早い、明け方に山小屋を出て

白馬岳山頂で2連泊をして、その間に絵を描き
来た道を引き返すコースを取ります。

絵の具は重たいので、
紙とペンと廃材で手作りした折りたたみできる画板だけ持って行きました。

そして、生まれて初めての登山へ。

地図と木々についているリボンや岩に描いてある矢印を頼りに
黙々と進んで行きます。

お盆明けなので、会う人は少ないですが、2時間に1組ほどすれ違います。

最初は10分おきにハァハァ息が上がって休憩していたのですが、
30分もすると調子が出て来て、モリモリ歩ける様になりました。

生まれてこの方、見たことのない景色の中、黙々と一人で歩いていると
自分との対話が始まります。

たま振り返ると、信じられない様な遠くまでの山々が連なる峰が見えて
こんなところまで一人で歩いて来たの!?

と驚くばかり。

まるで瞑想の様な不思議で楽しい初めての山歩きでした。

山の天気は変わりやすいので、雨が降ったり止んだりを頻繁に繰り返します。

晴れている時に行動食を食べて、
スケッチブックを取り出し30分ほどスケッチ。

1時間もしないうちにまた雨が降り出すので、急いで道具をしまい
また歩くの繰り返しです。

普通の登山者よりもずっと時間をかけ、1日目の白馬山荘に辿り着きました。

後から来た仲間とともに食事をして、同じ部屋で
今日の登山のことを語り合いながら眠りました。

次の日、仲間の3人は次の山へ縦走に行きました。

私は白馬岳頂上にある別の山小屋に泊まるのですが、
初日の山小屋とはごく近くにあるので、
一人でのんびりと絵を描く日。

白馬大雪渓を描きに山小屋でアイゼン借りてを雪渓を降ったり、
ここは!と思う景色の場所でゆっくりと絵を描きました。

山はガスと言って濃い霧のような雲のようなものが突然視野を塞いだりするのですが、

絵を描いていると、ガスのせいであっちが見えて、
こっちが見えないということが
常です。

ガスが無いところから描き始めて、
見えないところは放置作戦で進めるのですが、

私のいるところ、すっぽりガスに覆われて何も見えなくなることもあります。

そんな時は、あきらめてお昼寝をします。

起きるとガスが晴れていたので描き進めて………。

自然に合わせてのんびりし絵を描いていると、
自分も自然と一体になったような不思議な感覚がしてきました。

ああ、風景画を描くって楽しいなぁ。

心から思ったひとときでした。

最終日、今日は自分の働いている山小屋に戻らなくていけないのに、
なんと大雨に見舞われました。

風も吹き荒れ、
朝から白馬頂上宿舎は慌ただしく、みんな深刻そうな顔をしています。

私は、一人では帰れる気がしなくて不安で今日は降りられないと思ったのですが、

なんと、幸運なことに、私が働いている山小屋のもうひとつの隣の山、
朝日岳の山小屋のご主人が、お連れ様と2人でいらしていて、

朝日小屋に帰るとのことでしたので
途中まで一緒に山を降りてくれることになりました。

お二人は私の前と後ろでリードしてくれ危ないところを
なんとか通過しました。

お二人と別れる頃には天気も安定してきて、
無事に自分の山小屋へと帰ってくることが出来ました。

帰りはもう必死で、死ぬかと思った以外はよく覚えていません。

脚はパンパンで一週間ほど筋肉痛に悩まされましたが、

生まれて初めての登山は
本当に素晴らしく、楽しい思い出いっぱいでした。

自然と一体になって風景画を描くことの楽しさにすっかり
ハマり

そして、また少し、
「もっと大きな絵を描いてみたい」
と、欲が出来てきました

続く

お世話になった山小屋

私のストーリー①

こんにちは
藍 みつるです。

私のブログにいらしてくださってありがとうございます!

このブログは皆んなと楽しく生きられたらいいなと思い立ち上げました。

私は今、

風景画でありイラストレーターであり、似顔絵師であり、
アロハタロットの占い師です。

私の人生を振り返ってみると
大きな存在のちからが働いているとしか思えない人生でした。

後から振り返るとバラバラだったっ
パズルのピースが全てつながり大きな絵として完成していきつつあることがわかります。

そして、これから先、
私がどうありたいのかを考えた時、

何か、私にしかできない事で、沢山の人に貢献していきたい。

全てのピースがハマるような感覚をみんなにシェアしたい。
そう思うようになりました。

このブログを始めるにあたって、少し長いですが、
私のストーリーを何回かにあ分けてシェアします。

第1章 子供時代

私は、神奈川県横浜市で生まれました。

横浜と言っても端っこの方、当時はまだ田舎で
近所に畑もあり、家の後ろには牛舎があるような
自然あふれる町の、古びたアパートに家族4人で暮らしていました。

父は明るいマッチョな海上自衛隊
母は太っ腹の肝っ玉母さんで看護師
3歳下のおっとりした弟。

父は船が出航すると数ヶ月帰らないこともあり、
母もまた夜勤がある不定期な仕事。

なので、同じアパートに住む叔母のもとに預けられたり、
保育園の同じクラスの子のお宅に預けられたりしながらも
沢山の人手のお陰で元気に育ちました。

子供の頃から絵が好きで、暇さえあれば絵を描いていました。
家の襖は私が落書きしたあとだらけ。

お姫様や女の子より、ユニコーンやペガサス、人魚姫や妖精など、
ファンタジーなふしぎな世界が好きでした。

小学生になっても相変わらず絵を描いている日々。

父も母も日中いないので、学童保育に行くよう言われていたのですが、
行かずに家で黙々と絵を描いたり、石膏人形を作れるキットで遊んでいました。

自然も好きなので、田んぼでドジョウを採ったり、
大きな木の上を秘密基地にしたりと、アウトドアも満喫。

そして、不思議な物事が好きなのも相変わらずで、
一番好きなアニメはゲゲゲの鬼太郎や悪魔くん。
妖怪辞典や妖精の本などを愛読。

星占いやおまじないなんてもの好きになり、
占い雑誌の付録のタロットカードを大事にしていました。

昔でいう鍵っ子でしたが、それを寂しいと思うこともなく、

他の子達はうるさい親が昼間っから家にいて大変だなぁと思っていたくらい
好きなことを好きなだけやるマイペースな小学生時代でした。

第2章 いじめられっ子

小学生3年生の時に新興住宅地に引っ越してきました。

ボロボロ古いのアパートから新築の鉄筋コンクリートのマンションへ。
家族全員に一部屋ずつあり、とても広いきれな私のお部屋に心が踊ります。

「我が家は貧乏って訳ではなかったんだな」と衝撃を受けました。

新しい環境に馴染むのが最初は大変でしたが
すぐに慣れ、友達もできました。

そして一人部屋になったことにより、
またしても絵に没頭する生活をします。

大好きな不思議探求にもより精が出て
あの例の怪しい素敵な雑誌「ムー」にまで手を出すようになっていました。

引っ越したばかりでクラスに馴染むことはできたのですが、

小学校5年生くらいから中学2年生にかけて、

特定の男子にからかわれたり、聴こえるように悪口を言われたりする
軽いイジメにあいました。

物を取られたり暴力を振るわれたりするような
イジメではなかったものの、
小学生の私にはそれなりに不快で傷ついていました。

担任の先生は個人面談の時に
「大丈夫か?」と気にかけ、気にかけてくれました。

しかし、当時の私は自分の弱さを見せることを何より恐れていたので、

「は?何が?あんなヤツ相手にしてないんで別になんとも思ってないですけど何か?」
という態度で突っぱねていました。

なぜ、そんな強がりな性格になったのか。

思い返してみると、

私は幼い頃から色々な人に預けれられ、
その家でうまくやって行くために自分の本心を隠すことが得意になっていました。

預けられた先で、その家庭のお子様と自分とは
当然対応の差がありましたのでそこで傷ついたプライドを誤魔化すために
平気なふりをすることが習慣になっていました。

弟も一緒に預けられていたので、弟の前で弱い自分は見せられませんでした。

また、よくある話ですが、長女だったために
「お姉ちゃんだから我慢しなさい」と子供の頃から言われていたので
なおのこと親にも甘えたり、自分の欲求や助けてほしいことなどは
言えないようになっていたのです。

そして、当時はそんなこともわからないプライドの高い私は
イジメの苦痛から逃れるため、私はすごいんだと思うため
相手を見下すために

「精神世界」「哲学的」「自己啓発」というジャンルの本を
読み漁るよになりました。

今まではどちらかというとクラスのムードメーカーで
周りを笑わせるとような役だった私は、
どこか一歩引いたところで皆んなに興味が無いようなキャラクターになっていました。

とは言え、私をイジメるのは2人ほどで他の人たちとは
悪い関係でもなく、クラスが変わればそれも無くなります。

当時を思い出すと、くらいトンネルの中を一人で歩いているような辛い時期。

ですがこの頃、強がるために読見漁った本を通して学んだ考え方、生き方など、
今の私のベースになっています。

第3章 高校生からの進路

中学生の時にひねくれた性格はすぐに直るものでもなく
私は高校生になっても少し、クラスから浮いていました。

浮いてはいましたが、絵の上手い親友とつるんで
放課後は喫茶店で遅くまで絵を描いたり、カラオケ行ったりと楽しく過ごしました。

高校に入る頃には、将来的に絵を描く仕事につくのだろうなと
漠然と思っていました。

絵を描くには美大に行けば良いのかな?と思っていたのですが、
どこの美大に見学に行っても、本当にやりたい絵では無いなと感じて、
美大受験に積極的にはなれませんでした。

両親は、成績や進路については厳しいタイプではなく
放任に近かったのですが、大学には行ってほしそうでしたので、
親と先生に流されるまま美大の予備校には通っていました。

しかし、選考したデザイン科でもピンとこないし、
日本画、油彩画どれもやりたくありません。

私はイラストレーターになりたいと思っていました。
それにしては美大のあまりに高い学費を払う意味もよく分からなかったのです。

今になって思えば、デザイン会社に入ったり、業界で横のつながりを作るのには
美大の派閥のようなものはとても意味があるのだということは理解したのですが、
当時の私にはお金と労力と自分のやりたいことに釣り合いが取れてるとは思いませんでした。

そんなことを思っていたので、
大学に行くことを期待して、予備校代を出してくれた両親には申し訳なかったのですが、
学びが身に入らず、競争率の厳しい美大では案の定、全て落ちました。

もともと、美大に思い入れのなかった私はショックを受けることもなく、
そのまま就職をして、働きながら、イラストレーターが多く出ている個人の学校
「セツモードセミナー」の夜間部に通うことにしました。

続く